インドから仏教がシルクロードを伝って中国にもたらされて以降、中国の人々に仏教信仰が浸透し、多様な仏教文化が花開いてきた。 なかでも石刻、石窟は、時の権力者や資産家が大金を投じて岩山を掘削させ石仏を彫刻しているもので、 その規模の大きさや当時の彫刻技術の見事さが後世に至っても私たちを魅了し続けている。四大直轄市のひとつである重慶市の郊外、 大足県にある「大足石刻」は唐の時代から約400年の歳月をかけて造られた石刻群で、1999年にユネスコ世界文化遺産にも登録されている。 今回、日本では正月休みに当たる時期に、重慶と大足を訪ねた。
中国では今年は12月31日から翌2017年1月3日の3日間が公的な休日となる。西安から重慶へは列車では約11時間の道のりとなる。
三連休のうち24時間近くを移動に使いたくないため、行きは列車、帰りは飛行機という計画にした。
往復ともに飛行機でもよいが、中国での列車移動は、まさに旅といった雰囲気をじっくり味わえるので、なかなかやめられない。
「K1002」は西安を20時25分に発車する列車で、12月30日の就業後そのまま西安駅に行って乗車することができる。
重慶北駅の到着が翌朝8時。切符の確保が遅れたため(個人的に購入)、寝台車両がすでに売り切れており、やむを得ず一般座席(硬座)の切符を購入した。
三連休のようなタイミングでは帰省する人が少なくないためだろう、列車は混雑している。
一般車両の混沌とした様相は、日本のお盆や年末の帰省ラッシュにおける新幹線車内のそれを軽く凌駕する。
車両の連結部分には「無座」のチケットを持った人であふれ、座席通路まではみ出している。
私の座席は(不運にも)ちょうど車両の端だったので、無座の人が私の席と向かいの席の間(座席は向かい合わせのタイプ)のスペースを陣取り、
調味料か何かを入れる業務用のポリケースを置いてその上に座っている。このため私は足を延ばすことができず、非常に窮屈な姿勢を強いられることになった。
とても辛い。
中国の鉄道では自由席は存在しない。一般座席が全て売り切れて、それでもその列車に乗る必要がある人は、一般座席と同じ価格の無座のチケットを購入する。
無座で列車に乗り込んでくる人々の多くは農民、あるいは農民工である。無座のチケットを購入することになったのには様々な事情があるだろう。
農村付近には切符の販売所もないだろうし、まだスマホの普及もじゅうぶんに行き届いていない状況であればオンライン予約も難しいだろう。
しかし最も考えられるのは、予約をして前もって座席を確保するといった、「計画性」のようなものがこの人たちには欠落しているのではないかということだ。
これは決して農村の人々を見下したり馬鹿にしようとしているのではない。教育の問題ではないかと言いたいのだ。
農村では、貧困あるいは農作業に忙殺されるために満足に小学校にも通えない子供たちが未だにいるという。
教育の充実は貧困を抜け出す重要な解決策のひとつのはずだ。ここに現在の中国の抱える闇とも言うべき大きな問題がある。
ケ小平の唱えた先富論によって中国の経済は急成長し、数十年前よりもはるかに豊かになったが、農村の人々の多くは置き去りのままだ。
この極端な格差の生み出す歪みが、いま車中の私に不自由さをもたらしている。もっと足を延ばしたい。
ポリケースに座っている人たちは大声で喋り、ところどころ欠けた歯を見せながら屈託なく笑う。
そのうちのひとりが大量に持ち込んだゆで卵や果物を私に分けてくれた。
私が日本人だと言うと彼はきつい方言で、「日本ってどこだ?」と言ってまた笑った。ゆで卵は塩辛く味付けされており、うまい。
寝台車両での快適な旅に少し飽きている方がいたら、一般車両での旅はいかがだろうか。快適さと引き換えに、まさに中国の「生」の現場を体験することができる。
そんな少しマニアックな要望にも「西安中信国際旅行社」なら容易に応えてくれるだろう。
夜が白み始めるころ列車はスピードを落とし始めた。車窓の外にマンション群が現れ、しばらくすると大河が姿を見せる。
遠くに小さな船が見え何とも言えぬ風情を感じる。
8時ころ列車は重慶北駅に到着。ようやく窮屈な姿勢からも解放された。ふらふらとした足取りでプラットフォームに降り立った。
重慶北駅から重慶バスターミナルは「軌道3号線」と呼ばれるモノレール式の電車で30分ほどの距離にある。
重慶駅もバスターミナルの隣にある。重慶バスターミナルから大足行きのバスに乗車し、2時間ほどで大足バスターミナルに到着した。
大足には石刻のある場所が点在している。それぞれ創建の年代が異なり、彫刻の作風にも違いがあるそうだ。
中でもこの「北山石刻」と市街北東部にある「宝頂山石刻」が有名で、必ず訪れておきたい。
ちょうどお昼時なので、まずは腹ごしらえ。「姜鴨麺」という西安では見慣れぬ名前の麺をいただくことに。
メニュー表記が西安の麺食堂と異なるのが面白い。西安では食べたい麺を決めた後、「小椀」と「大椀」のどちらかを選択する。
普通盛か大盛かという意味だ。この食堂では、「一?」「二?」「三?」から選択する。「?」は重さの単位で、1両が50グラムに相当する。
姜鴨麺は細く平たい麺を生姜と鴨肉の入ったスープでいただく。スープは生姜が程よく効いており、体が温まる。
腹ごしらえを済ませた後、バスターミナルから北へ車で10分ほどの場所にある北山石刻へ向かった。
ちょうど大足の街が見渡せるような山の頂上に北山石刻はある。入口前の駐車場に土産物屋や軽食の屋台が並んでいる。
観光客はそれほど多くない。閑静な寺院といった趣だ。購入した入場券を見せて山門を入り、石刻のある地点まで階段を上っていく。
北山石刻は唐の892年から南宋の1162年まで270年の歳月をかけて造られたとされ、幅50メートル、高さ7メートルほどの岩肌に約5000もの石像が彫られている。
全体的に劣化や破損は少なく、かなり保存状態がよいようだ。実に見ごたえがある。周囲に他の観光客も少なく、ひとつひとつの彫像をじっくりと確認することができた。
北山石刻の出口を出て正面をしばらく進むと白塔が見えてくる。
その塔の傍にある階段を降りると二体並んだ大仏がひっそりと佇んでいる。実に風情があって良いのだが、なぜ無料で観れるようになっているのか少し不思議だ。
北山石刻を後にし、次に向かうは南山石刻。先ほどのバスターミナルから車で10分ほどの場所にあり、北山石刻のと同じように山の頂上に石刻が造られている。
山の中腹に公園として整備された見晴らしの良い広場があり、そこで何組かの家族連れが憩いでいる。
しかしさらに上にある石刻入口に人気はなかった。券売所の係員はスマホをいじるのに忙しい様子。もう少ししっかりしないといけない。
山門をくぐると北山石刻と同様に階段が上まで続いている。北山石刻よりこじんまりとしているのだが、そのぶん風情があって良い。階段を頂上まで上ると仏閣が現れる。
中に人はおらず、正面に彫像が祀られている。
決して大きくない、むしろ小さなものだ。造られた時期も南宋の時期1127年から1279年と短い期間で、大足石刻の中でも規模は小さいようだ。
時刻は4時過ぎ。宝頂山石刻へ行くには少し遅いようだ。昼頃大足に到着し、昼食をとった後に散策を開始するとなると、この2つの石刻を回るのがちょうど良いだろう。
朝、早速宝頂山石刻へ向かう。元旦を迎えたという実感があまりない。
外を歩く人にも特別な様子は感じられない。商店や飲食店もいつも通り営業している。
やはり中国は1月1日の正月は数ある祝日の中のひとつという認識でしかないのだろう。
宝頂山石刻は町から北東に17キロほどの場所にある。昨日の北山石刻や南山石刻と違い最も規模の大きい石刻なだけあり、整備のされ方にも力が入っている。
駐車場にはまだ朝9時過ぎであるというのに、すでに多くの車が停車している。
入口広場から石刻のある場所までだいぶ距離がある。徒歩でゆうに20分はかかるだろう。
石刻の手前には博物館があり、大足石刻のみならず世界中の石刻、石窟を紹介する展示がされており見応えがある。
アフガニスタンのバーミヤン遺跡の大仏がタリバンによって破壊される前後の写真などが展示されている。
また、大足石刻が中国では敦煌の莫高窟に次いで2番目にユネスコ世界文化遺産に登録されていたこと(1999年)を知った。
ガイドブックなどでは中国の三大石窟と言って、莫高窟、河南省洛陽の龍門石窟、山西省大同の雲崗石窟が有名なものとして挙げられるが、
大足石刻も世界に知られるのが早かったという点で負けていないのは興味深い。こちらの博物館では他にも周辺で発掘された遺物が数多く展示されている。
決して素通りせず見逃さないようにしたい。
博物館を出てまたしばらく進んでようやく石刻の入口に到着する。付近ではガイドの勧誘が多いのだが、しつこく着いてきたりするわけではないのでいい意味で活気を感じる。
ガイドを頼んでいる観光客も多い。石刻付近にはすでに大勢の観光客が集まっている。
幅50メートル、高さ8メートルから25メートルほどの岩肌に彫像が所狭しと彫られている。
北山石刻の彫像とは違って色付けがされており、風化しておらず色が残っているものも多く、当時の彫像文化の色彩感覚を感じ取ることができて、実に見ごたえがある。
必見のひとつは仏閣の中に祀られている金箔の貼られた千手観音像で、実際の千以上の手が掘られているそうだ。
また、地獄に落ちた人々の様子を描いた地獄絵図も面白い。道教や仏教の寺院に行くと同様の木像があるが、これを彫像で表現しているのはすごい。
宝頂山石刻は石刻のほかに聖寿寺と呼ばれる寺院もあり、ゆっくり見物するとゆうに2時間以上は必要になる。
大足石刻は、先に挙げた三大石窟に比べると、その大きさの規模では確かに見劣りがするかもしれない。
しかし保存状態の良いものが多く、長い年月をかけて造られた彫像にはそれぞれ違った味わいがあり、三大石窟に勝るとも劣らない良さが発見できるだろう。
時間の都合で、宝頂山石刻を出てそのまま重慶に戻ることにした。
重慶に到着したのは午後2時過ぎ。少し遅い昼食に重慶名物の火鍋をいただいた。辛い!!!
翌朝、重慶の人気スポットである「磁器口古鎮」を訪ねた。宋の時代から続く歴史のある古鎮である。
現在は観光向けに整備され、とりわけメインストリートは重慶色の感じられる軽食や土産物屋がひしめき、街歩きが楽しめるようになっている。
しかし面白いのはメインストリートの裏路地で、昔ながらの石造りの家屋を見ることができる。
洗濯物を干しているおばさんや、走り回る子供たちなど風情が感じられて心地よい。家屋の1階を改装したお洒落な喫茶店や雑貨屋もある。
昼食はメインストリートの外れにある食堂で「辣子兔」をいただいた。
重慶には「辣子鶏」と呼ばれる骨ごとぶつ切りの鶏肉をたくさんの唐辛子と炒めた激辛料理があるのだが、これは鶏肉ではなくウサギの肉を用いたものだ。
なんでもこの地方ではウサギもよく食されるそうだ。ウサギの肉はどんな味がするのだろうと楽しみにしていたのだが、辛すぎて味が全くわからなかった!
磁器口古鎮を後にし、地下鉄で江北国際空港に向かい、四川空港の3U8778便で西安に戻った。
飛行時間はたったの1時間10分である。あの足の伸ばせない窮屈な11時間半は一体なんだったのだろうかという気持ちと、
便利な世の中になればなるほど忘れ去られていく昔の情緒への憧れの気持ちが複雑に混じり合った重慶の旅であった。
(終わり)
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