四川盆地南部の丘陵部にあり、現在四川省の重要な工業基地の一つです。 古代よりこの地で産出される井塩という塩は貴重なものとして各地へ売られ、製塩業や塩の売買、塩に関係する工業で財をなした富裕な商人が多く住んでいました。 その頃の自貢は中国一豊かな場所として名が通っていました。また、自貢の「大山鋪恐龍化石群遺跡」は、中国で見つかった中でも最大級の恐竜化石群であり、 【恐竜の郷】とも言われています。現在の自貢の人口は約320万人で、日本の北海道三笠市とは友好都市です。
古来より自貢では深い井戸を掘って濃い塩分を含んだ地下水をくみ上げ、乾燥させて塩を取り出す製塩業が古代から盛んでした。 こうした塩は「井鹽」(井塩)と呼ばれ、塩分の補給や野菜などの食物の保存のために飛ぶように売れたといいます。 近代に入り西洋の製塩技術が導入され、海の塩や岩塩が輸入されるようになり、1930年代を最後に製塩は下火になりましたが、 古来の製法の製塩井戸は今も残り、現在に至っても四川の井塩は味のよさから最上級の塩として珍重されています。 「塩都」と称される自貢において、井塩の生産は後漢の頃にはすでに行われ、富裕な塩商人による繁栄は清末期および中華民国初期まで続きました。 明末期から清の初期にかけ、自貢のある四川の地は、張献忠による反乱と住民に対する殺戮、清軍と張献忠軍との戦い、 南明と清の戦い、三藩の乱などの戦乱が30年以上にわたり続き、荒廃が進みました。 人口の激減した四川には華北のほか、湖北省・湖南省・広東省などからの移民数百万人が流入したましたが(湖広填四川)、 さらに順治帝の五年には疫病、干ばつ、大飢饉が起こりました。 自貢の城内外には虎が出没して人を襲い、特に現在の富順県の街は虎や豹が跋扈し人の姿が見えないほどとなってしまいました。 自貢に属する榮県は、中華民国や中華人民共和国の重要な指導者であった呉玉章の生地であり、近代革命の最初の震源地でもありました。 榮県は旧王朝体制下で独立を宣言しました。 1911年に中国に帰国した呉玉章も四川に赴き、?漢鉄道の国有化に反対する「保路運動」を指導し榮県独立を画策し、 辛亥革命に向けての反政府運動のきっかけとなりました。 また発足間もない中華民国にとって、塩の専売化による大きな収入は、 外国からの借り入れの際の担保として重要でありましたが、当時の中国で最もよい塩は四川の塩であり、 四川の中でも自貢の井塩が最高品質の塩でると言われました。 1939年10月10日から1941年8月19日にかけての2年間、日本軍は7度にわたり自貢を空襲しました。 この間、自貢は大きな被害を受けましたが、自貢に設置された高射砲が日本軍の爆撃機に対抗しました。 日中戦争では日本軍の爆撃を受け被害の大きかった都市でもあります。 また国民党軍の記録によれば、日中戦争を戦うための寄付金が最も多く寄せられた都市でもあります。 市内を流れる釜溪河の北岸にある「還我河山」の文字は、自貢の富裕な商人から戦費の寄付を受け取ったことをきっかけに、 国民党軍の著名な軍人である馮玉祥が親筆をしたものです。 1950年代に鉄道が通り、1970年代末から新市街の近代化が始まり 、1990年代に入り近代化の勢いが加速しました。旧市街はかつての「塩の都」であり、今も工業と農業が営まれています。 一方、新市街は中国各地からの観光客のための施設が多い観光の町です。
【ウキペディアより】
自貢の観光スポットをご覧ください。
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